送別の時期
先週18日にPTA役員として小学校の卒業式に出席した。翌日は来賓として信濃小中学校の第2回目の卒業式に列席した。21日には本学部の卒業式・謝恩会で教え子を送り出した。日程が重なるため、関係する3つの学校や大学には式の欠席を返信させていただいたけれど、ご苦労された教職員や卒業までバックアップされた親御さんたちには、心から「おめでとうございます」と声をかけたい。学舎を去る卒業生たちにはどんな思いがよぎっているのだろうか。毎年卒業式には感無量という思いに浸るけれど、今年も目頭が熱くなる瞬間があった。巣立っていく卒業生に対してエールを送るとともに、私はどうしても(元担任教師だから)卒業式を迎えた教師たちの気持ちに寄り添ってしまう。そして明日は、PTA役員として、転退職される先生方の送別会に出る。また、お別れの日になる。
ところで、今日は大学の同じ学部でお世話になった先生方の定年退職をお祝いする送別会だった。そのうちのお一人、土井先生の人となりのご紹介をする大役を私が担った。恩師だからだ。11年前の本学部教員採用人事の時、私が50人ほどの応募者の一人となり、選考委員長が土井先生だった。面識のない関係だったけれど、中学・高校の教員を辞めて、農業をやりながら教育学の博士論文を書いた妙な男、大学教員になるよりも先に小学校教諭になることを選択した変わった研究者。栃木の農村から毎日東京都文京区まで通勤していた信じがたい教師…。そんな私を引っ張ってくださったのが土井先生だった。私の学歴や職歴がアブノーマルであったばかりか、当時国立大学附属小学校教諭としての激務の中で健康診断を受けて診断書を郵送するという余裕がなく、人間ドックの結果をそのまま選考委員会に送ってしまったために、「こいつは採用してもすぐに入院する」と他の委員に反対されたという。土井先生は、私の人間ドックの検査結果を医学部教授に精査していただき、「この程度なら死ぬことはないし大丈夫だ」との評価を引き出してくださり、他のエリート候補者を差し置いて、私を推薦してくださったと周囲の選考委員から聞かされた。教授会で私の人事承認をいただいた直後に、土井先生が過労で入院されたのは、きっと私を推薦するにあたって尋常ではないご苦労があったに違いない。そんな恩人が今年で定年退職される。「おめでとうございます」という社交辞令は大きな声では言えなかった。まだまだ私たちを大所高所から指導していただきたい。同僚としてこれからも一緒に学生と向き合っていただきたい。まだまだ…それが正直な気持ちだ。
毎年この時期は、誰かを送り出す送別の会が催される。さみしさもあるけれど、送り出す私たちは、その人から学んだことを引き継ぎ、さらに発展させていくことで恩返しをする立場なんだろうと思う。5分間のスピーチでは語りきれなかった恩師への思いを、私はこれからの教育実践や研究活動に注ぎ込んでいこうと決意を新たにした。
退職される先生方、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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