あれから3年
3年前の今日,高校の女子寮で各国の子女と共同生活していた娘は,今日のフライトで2度目のフィリピンへ出かけた。大学生有志の国際ボランティアチームでの活動に参加しているためだ。彼女は海外の人の目線でも,東日本大震災を考えてきたに違いない。
私はあの日…フィンランドにいた。学会発表を終えてランチタイムにビールを飲もうと思っていた時に,「日本が大変なことになっているよ」とフィンランドの人々に声をかけられた。インターネットでみられるニュースを見て,NHKでは放映されない衛星からの映像を観て言葉を失った。
翌日からフィンランドの学生たちが日本へ募金を届けようと動きだし,募金活動をするために必要なライセンス取得の講習会に通い始めたことを知り,その市民性の高さに頭が下がった。インドネシアの孤児院では,子どもたちが自分たちの施設に届く寄付金の多くを,日本に送ってほしいと申し出て貴重な支援金が届けられ心が揺れた。スリランカから来ている貧しい労働者たちが,日本国内の右翼団体から激しい宗教的差別を受けたにもかかわらず,震災で家を失った人たちのためにはるばる駆けつけて,温かいカレーをふるまったことに私は動揺した。世界中のアーティストがチャリティーコンサートを開いて日本人を応援してくれたことも私たちは忘れない。…まだまだたくさんのエピソードがある。
あの時に何が起きてどんなことがあったのか,私たちは忘れてはいけない。
しかし,3年経っても,津波で流されたエリアの多くが,定住できる状態にはなっていない。福島原発では今でも高レベルの放射能を出し続けている各原子炉がどういう状態になっているかさえわからないまま,汚染水の処理だけで四苦八苦し続けている。作業員の被曝線量は基準値を超えてしまうため,原発関連施設での知識や経験のある作業員は日ごとに福島原発から去らねばならない事態になっている。さらに,政府は他地域の原発再稼働を推進しようとしているため,「放射能漏れの無い」原発へ熟練工が招集されている事実がある。さらに,東京オリンピックが決まり,膨大な設備投資が計画されているため,建設・土木関連業者も福島原発の事故処理作業を含む東北復興事業から撤退し,東京五輪関連事業へと流れ始まっているという。福島原発で最近人為的ミスによるトラブルが起きていることも,こうした背景と無関係ではないような気がする。熟練度の低い作業員たちに降りかかる精神的ストレスはそうとうハードなものなのではないだろうか。
「被災地」とはいったいどこか?それは福島や東北や栄村なのだろうか。いや,私たちの故郷である日本が被災地なのだと思う。避難指示を受けて他地域へ移住している人々が「気の毒だ」と同情するという発想も,少し違うのではないかと思う。私たちの故郷の一部が壊され,身体の一部が傷つけられたと受け止めること,心が折れそうになりながら3年我慢し続けている隣人がそばにいるとイメージすること,自分の問題として考え続けることが求められているのだと思う。事故が起きた原発の問題解決の見通しも住民に示せていないのに,「アンダー・コントロール」と国際社会にアピールしてしまう首相や,「避難移住するのは個人の自助努力」と言い放つ政治家たちを選んだ私たちにも責任がある。私たちの社会の病理に目を向け,希望の持てる社会建設を目指して,一人ひとりが自分の意思を行動に移し,周囲とつながりながら前進していくしかないのだと思う。
ところで…今日は六本木ヒルズのアカデミータワーで開催されたLync Intaract Japanセミナーに参加していた。ICTの最先端事情を学ぶことに加えて,過疎地の小規模学級における未来型授業モデルを構想するヒントを得ることが目的だった。
このセミナー会場でも,セッションを中断して14時46分に1分間の黙祷が行われた。3年めの「3・11」を迎えて,あらためて私は何をしてきたのか,これから何をすべきなのか…帰りの新幹線で自問自答している。
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