沖縄“本土復帰”40年
江戸時代には薩摩藩に支配され,明治維新政府の近代国家建設において日本に取り込まれた琉球王国は,そもそも日本とは別の独立国家だった。その島国が太平洋戦争において国内唯一の地上戦場となり,多くの人命を犠牲にした日本の歴史を,私たちは忘れてはなるまい。沖縄戦では,日本軍が「本土防衛」のために一般住民をも“楯”として利用し,同じ頃長野県の松代では,朝鮮半島から強制連行されてきた人々が大本営の地下壕を建設するために過酷な労働を強いられていた史実が重く残されている。純朴な沖縄の島民に「皇民教育」を徹底し,「捕虜になるより集団自決を…」と教えてきた日本軍の非常時の指示までが,日本の検定教科書から消されたり,「自虐的歴史観」だという理由で授業でも触れない先生方が増えてきたことに,私は心が痛む。教師をめざす大学生の中にも,教科書に載っていない沖縄での悲惨な歴史を掘り返した教材を,子どもたちに学ばせることには思想的な偏りが感じられ,子どもの気持ちも傷つけるから扱うべきではない…などとコメントしてくれる学生に毎年出会う。思想の自由は憲法でも保障されているが,自国の恥部を隠し,世界に誇れる面ばかりを若者に伝承しようとする態度から,健全な「愛国心」が育まれるのだろうか?自国の歴史と向き合い,国内外の弱者と繋がり,過去の反省の上に理想を掲げて国際社会に貢献していく態度が,これからの人々に日本人としての自尊心と愛国心を抱かせるのではないか。
今日5月15日で,沖縄の「本土復帰」から40年になる。あまり紹介されないが,日本に帰属することを反対した人々もいた。当時の県民の願いは,「沖縄の自立」であって日本に復帰することよりも基地がなくなることを期待したのだと語る人が多い。その後,冷戦下の軍事的情勢も絡まって,沖縄への米軍基地の集中が固定化した。米兵による婦女暴行事件や交通事故等が,日本の警察の権限が及ばないフェンスの向こうに隠蔽されることもたびたびあった。また,巨額の「沖縄振興」予算を投入する政治家の手法は,国が原発周辺の自治体に配る「電源三法交付金」と重なって,地方の「国費依存」体質を強めた。
でも,最も悲しく,最も深刻な事態は,「沖縄のことは無関係」という意識の“本土”の人が増えていることだ。田原総一朗氏のブログにこんなメッセージがあった。↓
今回の「朝まで生テレビ!」は放送25周年記念スペシャルとして、沖縄からお届けした。
しかし、非常に残念なことに視聴率は4年ぶりの低視聴率だった。
東京はじめ、本州の人びとは「沖縄の問題」に関心を持っていないのではないか。
自分たちには関係ない、「沖縄の問題」は沖縄の人びとに押しつけておけばよい、
と思っているのではないか。
沖縄のいちばんの問題は、そこにある。
(田原総一朗氏のブログより)
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