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2011年4月 9日 (土)

原発事故に思う

 広瀬隆さんの著書『東京に原発を!』 (集英社文庫)を読んだのは大学院生の時だった。「原子力発電所がそんなに安全なら,過疎地に造らず送電ロスがないよう東京に建設したらいいじゃないか」という皮肉たっぷりのメッセージが込められていた。チェリノブイリ原発の爆発事故の後に世界中で起きた反原発運動の最中に出されたセンセーショナルな本だった。たしかその後に,「朝まで生テレビ」という番組でしばしば広瀬さんたちが原子力事業推進関係者らと「科学的」なデータをもとに論争していた。その数年後に社会科教師をしていた頃に,原発の使用済み燃料や40~50年で廃炉・解体される核施設の放射能にまみれた廃棄物を数百年間もどう安全に管理するのか疑問だった私は,(特定の考え方の注入にならない程度に)授業で原子力発電の推進に疑問を投げかける資料を使い始めた。すると某電力会社の系列企業の方々との出会いが生まれ,私は彼らから当時こう言われた。

…原子力政策に賛成でも反対でも結構です。学校でもっとエネルギー事情のことを取り上げてください。化石燃料の枯渇や地球環境問題を真剣に考えるとき,ますます拡大し続けるエネルギー消費に,日本は対応できなくなります。新エネルギーには限界もあるため,原子力も上手に組み入れて電力供給を考えていかないと,日本は破綻します。

 それ以降,私は中学・高校の教員時代に「資源・エネルギー・環境」教育プロジェクトに関わることになった。電力事業系財団から資金援助を受け,ドイツ・スイス・イギリスの原子力発電所やフランスの核燃料再処理工場の見学に行ったり,各国のエネルギー教育の実情を調査したりした。でも,担任していた生徒の父親が亡くなり,葬儀に参列した時から,私はそのプロジェクトチームから距離を置くようになってしまった。その生徒の父親は福島原発で働いていた。会社は遺族への誠実な保障と母親に対する社員ポストを約束していた。生きる希望をもらったと感謝の言葉を口にする母親を前に,私は何も言えなくなった。
 その後も,原発でのトラブルは「故障は大事に至らない」と報道されることはあっても,そこで働く社員や下請け・外注で作業にあたる人の被爆や病気等に関する報道は皆無に等しかった。事故後の対応をみていると,経産省の原子力安全・保安院というセクションの役割も,行政機関や事業者から独立して強い指導権限をもつはずの原子力安全委員会も,何か一緒のグループに見えてしまう。原子力事業を積極的に推進してきた自民党の政治資金団体に,東京電力の役員の大半が事実上の政治資金をしていたことが暴露されたが,緊急対策が落ち着いた時期には,根本的な組織改革を望みたい。

 今回の福島原発の事故は,誰を恨むわけにもいかない。しかし,7日の大きな余震の影響でも別の原発にトラブルが発生し,そのうち青森県の東通原発では非常用発電機が故障して使えないと報道された。広瀬隆さんが25年前に警告したことが,現実味を帯びてよみがえってくる。「原子力に賛成でも反対でも良いからエネルギー事情のことを学んでほしい」というあの時の声に対し,私は「誇れることも隠したいことでも,原発を稼働する裏側で誰がどういう苦労をしているのかを教えて欲しい」と返したいと思うこの頃である。

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