報道のあり方を問う
チリ鉱山で発生した落盤事故で地中深くに閉じ込められていた作業員33人が無事救出されたというニュースは,世界中のメディアの注目を集め,人々の感動を集めた…それは確かだ。しかし,今度は商業ベースのドキュメンタリー報道に利用されたり,知らなくてもいいような話題のスクープ合戦に展開されたりしている。
救出された作業員の心理的な健康状態をゆっくり待つことなく,一連の救出劇の映画化や本の出版,テレビへの出演等にかかわる高額なギャラの交渉も始まっているらしい。そもそもこの鉱山で働いていた360人は,危険を覚悟の上で経済的事情から比較的労賃が割高だという理由で就労していたというから,作業員たちの金銭意識を激変させてしまうことは避けられまい。一方,当初はヒーローとして描かれた33人も,実は坑内で人間関係のトラブルがあったという話題なら我慢できるが,家庭事情や「愛人」の話題が露骨に報道され,インタビュー報酬をつり上げる交渉をする作業員もいるなど泥沼化してきた。救出劇の裏側で行われていたピニェラ大統領の政治的情報操作は成功し,支持率は一機に好転したとか,仲間が救出されたことは無条件に喜びながらも,平均年収を超える取材料や有名クラブチームのサッカー観戦招待などの破格の待遇を打診されている33名に対し,羨望の眼差しがねたみにも変化しかねないと報道する記事まで登場した。報道はどうあるべきなのだろう。
一方,15日にエクアドル南部の金鉱山で起きた落盤事故で地下に閉じ込められた作業員ら4人のうち2人が遺体で発見され,2人は行方不明のままなのに,こちらの話題はなぜ注目されないのだろう。16日に中国河南省で起きた鉱山ガス爆発事故でもすでに20人以上が死亡し,16人が約150メートルの地下に閉じ込められたままだと国営新華社通信が伝えているのに,日本のメディアがチリでの鉱山事故の時のように報道しないのは,毎年数千人の死者を出す中国の炭鉱事故のニュースは話題性がないということだろうか。
今朝の地方紙の一面記事は中国の話題だったが,鉱山事故の話題ではなく,尖閣問題で反日デモを激化させた中国群衆の話題だった。こうして私たちは,感動物語も商業主義に利用され,「連帯・協同」よりも,「対立・ナショナリズム」が強化される構造の中に浸かっていくのかも知れない。
« チリの人命救出のニュース | トップページ | 久しぶりの出張講師 »
「ニュース・社会」カテゴリの記事
- スポンサー(2019.03.22)
- 「ステマ」を見抜くリテラシー(2015.11.03)
- 今年度初の書き込み(2015.07.20)
- 就職部長として(2015.03.08)
- 終戦記念日に思う(2014.08.15)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
中共主導で反日デモが行われたことについては国内でも報道する一方で、国内(しかも渋谷)で大規模に反中デモが行われたことは欧米メディアでは報道されていても国内で報道されることは結局ありませんでしたね。
同じ日本国内でも、在阪メディアと在京メディアですら報道する内容が違っているので(ローカルなニュースではなく、日本国内外のニュースに対する扱いに関して)、在阪メディアを見るようにしています。何でもかんでも劇場化したがる在京メディアに比べて、在阪メディアは関テレのニュースアンカーしかり、毎日放送のヴォイスしかり、報道に対する姿勢はまさに然るべきものだと思います。
ゆとり世代としては、今だからこそ溢れる(溢れすぎている)情報に対してどのように対処すべきか、という教育が必要なような気がします。
投稿: 信大生@北摂出身 | 2010年10月22日 (金) 00時15分
中国で起きている反日デモの真相も,日本のメディアからわかることだけで判断するのは危険でしょう。「中共主導」とは中国共産党の意味かと思いますが,いま中国共産党は主導権争いと,経済格差や役人の汚職に対する国民の不満の矛先を外に向ける戦略とで難しい舵取りを強いられていることだけは確かのようです。
その共産党のなかにも,強硬な保守勢力と改革開放をすすめたい勢力とがあり,それぞれがポストを争うのですから,今回の学生を中心とするデモも,政府の中枢や党幹部が主導したという報道は誤りでしょう。体制を変化させてポストを獲得したい次の勢力ないし現在のトップに減点をもたらしたい勢力がネットを使って扇動したという見方の方が妥当な気がします。デモを強硬に鎮圧すると「愛国者を弾圧した」と評されかねないし,デモを放置すれば国際社会からの非難を浴び,「外交能力がない」と非難される難しい立場に置かれるわけですから。私の研究室にいた中国人留学生も,自分は正しいと思わなくても,メールで集合せよと某所から号令がかかると,来日中ですらデモ行進に参加せざるを得なかった事情を話してくれました。一度はバスがチャーターされて東京まで行ったこともありました。ビザや就職などに悪影響をもたらすとなれば,彼らはダライラマ反対行進にも応援行進にも並ばざるを得ないのです。私が今,高校の「現代社会」を担当する教師に戻るとすれば,「中国の反日デモを扇動したのは日本人の某集団だった」という仮説をもとに,それはどんな考え方の集団で,どんな理由でそうしたのかを議論する授業をやりますね。もちろん,「教える」のではなく,考え合うためにです。
投稿: kevin | 2010年10月22日 (金) 05時46分
中共主導で、という話は『在京メディアでは』報道されていなかったように記憶しています。かといって在阪メディアや欧米メディアの情報が正しいのかといったらそういうわけでもなく。
少なくとも現在の中共(中国)の状況を鑑みれば、反日デモに参加したい方に限らず、政府に不満があるから暴れたい方も参加しているようにも見えますが(『在日外国人』(特に極東)が多く住んでいた地域出身の人間から見れば、ですが)。
「中国の反日デモを扇動したのは日本人の某集団だったという仮説~」という授業をするのであれば、『仮説』というところを強くいっておかないと、生徒によっては誤解を生みかねない諸刃の刃かと思います。
かつて小中学校で左派思想的な教育(特に社会科や道徳)を受けた反動で、右傾化してしまった自分としては、特に社会科の教員の方にはそのあたりを十分気をつけて頂きたいのです。理数系であれば、それほど思想というものに真実は左右される心配も無いのですが。
自分の場合、大阪にいたせいもあり、俗にいわれる「特定アジア」(specific-Asia)に対して、強い嫌悪感を抱いてるので、余計そう思ってしまうのでしょう。インターネットというメディアにも扱いに十分気をつけなければいけないのですが。
投稿: 信大生@北摂出身 | 2010年10月24日 (日) 08時07分
☆ご意見ありがとうございます。無視してはいけないと思うのでコメントします。
「中共主導」でのデモの可能性は複数の在京テレビ局で話題にしているのを私も観ました。「デモの首謀者が日本人かも」というのも同様です。強調するもしないも「仮説」はあくまでも事実とは断定できない仮の話であって,受験対策に特化した教科書至上主義タイプの教師は扱わないという実態を皮肉って,高校の現代社会での授業で触れる可能性に言及したわけです。前後の繋がりもなく「犯人は誰か」を突き止める授業だと思われたなら心外です。現場の教師なら,社会背景や歴史的文脈を事前に学習させてから,事後も未来志向の建設的な議論を想定して,その一連の流れの中に位置づけるメディアリテラシーを鍛える授業として構想すると思います。その扱いに個人の思想性は反映されてしまう可能性もありますが,特定の偏った価値観を生徒に注入しようとする教師はもちろん問題にされるべきです。
ただし,もしあなたが右傾化しているとすれば,それは出会った教師がきっかけになったにせよ,教師のせいではなくあなたの選択です。あなたと同じ授業を受けた人すべてが右傾化もしくは左傾化しているわけではないでしょうし,特定の授業科目で生徒の価値観や思想をコントロールできると考えることにも無理があります。いまだに反日的記述がたくさん載せられている歴史教科書を使っている中国や韓国にも,親日派は少なくないし,経済的理由以外で米国ではなく日本を留学先に選ぶ中国人も毎年たくさんいます。
参考までに書きますが,すでに改組された都立の某研究所に以前勤務していた時の経験から思ったことです。そこでの仕事の1つが,大手5大新聞の朝刊から教育関連記事を切り抜いて整理するというものでした。同じモチーフでも新聞社ごとに主義主張が異なり,事実の描き方に特徴があることを痛感し,特定の新聞を読み続けたら自分の考え方がそれに強く影響を受けるだろうなあと思いました。今では各社ともメール送信とネット上の編集サイト等を活用して記事をつくりますから,地方版ごとの違いには地域の話題に限定される一方,国際情報や政治関連記事に地域差はなくなりつつあるように思います。新聞の代わりにU-tubeや大手検索サイトのニュース記事でチェックしている人はさらに地域差というファクターが消えています。全国各地を出張する私は,ホテルで地方のテレビ番組を興味深くチェックしますが,今や財政上の理由もあり独自番組よりも系列ネットワークを組んでの番組編成が主流になっていると理解しています。残念なことに,だんだん地域文化や地域の特徴よりも,メジャーな情報がどこでも共有される方向へ,そしてグローバリゼーションという名の画一化へ向かいっているのが大きな波ではないでしょうか。だからこそ,「地域ブランド」がこれまで以上に商品になるのだと思います。
投稿: kevin | 2010年10月24日 (日) 11時02分