大阪・池田小事件
あれから9年の歳月が過ぎた。大阪教育大学附属池田小学校に男が刃物をもって校内に乱入し,低学年児童8人を刺殺し,児童13人と教師2人に重軽傷を負わせた衝撃の事件が起きたのは2001年6月8日の午前中だった。忌まわしい記憶ではあるが,同校ではこの事件を風化させることなく,学校の安全を守る取り組みを強化すべく努力を重ねてきた。昨年度からは全学年で,防災や防犯、交通安全などを系統立てて学ぶ「安全科」の授業を週1時間行っているが,今年3月には子どもたちの安全に地域などと一緒に取り組む学校として,世界保健機関(WHO)とスウェーデンのカロリンスカ研究所が設けた「インターナショナル・セーフスクール(ISS)」を取得している。
実は,この時に事件現場となった池田小の6年生児童の中に,東京から前年度に転居した女の子がいた。その子は私が担任した5年1組のメンバーだったが,途中で同校へ転校したのだった。事件を知った元クラスメイトたちは,自分たちに何か出来ないだろうかと考え,池田小の子どもたちを激励するビデオレターをつくって,私の手紙と共に送ったことを今でも鮮明に覚えている。
しかし,当時のマスコミは学校の安全管理が不備であったことを責めた。子どもたちの命を救えなかった教職員を批判する声も少なくなかった。犠牲になった子どもたちやそのご家族の無念を思うと,やり場のない怒りがこみ上げてきたが,同じ小学校教師をしていた私は,池田小の教職員の心境に近づき,いたたまれない気持ちになった。悲しかった。
学校の活動には誰もが協力でき,多様な人が子どもたちの学習をサポートすべきだ。
学校は地域に開かれるコミュニティーセンターであるべきだ。
…などと主張していた私だったが,この事件以来,文科省は全国の学校に対し,構内に不審者を侵入させないために施錠をするなどして安全管理を徹底するよう異例の通知を出した。私が勤めていた小学校にも間もなく警備員が配置され,職員はネームプレートを首に下げることになり,来校者は厳密に受付を通ることとされた。低学年の「町たんけん」や社会科の地域調査学習はボディーガード役の助っ人を確保しない限り,自由に校外を歩かせられなくなった。悲しかった。
その後,学校の安全対策は誰がどう責任を持つしくみになったのだろう。教職員には何が求められるようになったのだろう。あの時の犯人は,学校で格差づけられる構造を恨む供述もしていたが,既に死刑が執行されているので殺人鬼としか言いようがない。私たちはこの事件から何を教訓にすればいいのだろう?
毎年この日に,私は考え続けている。
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