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2010年1月11日 (月)

成人式

 今年の新成人は全国で127万人、史上最少の人数となった。成人式の会場に集まった青年たちが生まれた年に、私は心理カウンセラーから中学校教師に転身し、それ以来、小中高併せて5度の卒業学年の担任を経験させていただいた。成人式の日は、多くの自治体で中学校の卒業学年の担任教師たちが成人式会場へ出席することが要請される。もちろん彼らを祝福するために休日出勤するわけだが、成人式会場で卒業生の暴走に歯止めをかけることが期待されているという理由もある。昨日の日曜日、長野の社会教育委員としての役割として、私も成人式に列席した。大人への仲間入りをする新成人を祝福しようと私も毎年礼服で臨むが、司会者の話に注目せずにおしゃべりを止めない人や、市長の祝辞を妨害する不誠実な人のことまで税金を使って「お祝い」する必要があるのかと、意地悪な自分になっていくのがつらい。長野市では想定内のハプニングで済んでいるが、残念ながら今年も福井や千葉や…多くの自治体で行政サイドからの新成人への祝意は、一握りの傍若無人な若者によって台無しにされたようだ。なぜ、暴れたくなる一派の根本的な問題は解決されていないのに、行政は大きなホールに成人を集合させようとするのだろう。

Seijin201020100113000514946_2  今日11日は、小学校教師時代に担任した子たちが母校に集まるから来てほしいという親御さんたちからのリクエストにお応えして、久しぶりに元の勤務校へ出向いた。6年ぶり、8年ぶり…という教え子もいて、懐かしさを通り越して、11~12歳頃の子どもの印象を当てはめるのが困難だった。女の子たちは十分大人のレディになり、男の子たちも立派に成長して頼もしくなっていた。相変わらず私を「ケビン!」と呼んで駆け寄る点だけは昔のままだし、誰ひとり不誠実な新成人はいなかった。もちろん、出身小学校に顔を出すタイプの子たちだけで全部を語ってはいけないが、知り合いばかりの縁のあるメンバーと懐かしい場所で再会するというシチュエーションからは、「荒らす」ことや「誰かを困らせる」ことを参加目的にする新成人はいないのではないかと思った。

 成人式会場で晴れ着やスーツ姿を見せ合い、大人の自覚と責任を持つことはいい。でも、「誰か」への感謝の気持ちを言動に示さず、その手にたばこを持ち、缶ビールや一升瓶を持つことで自己顕示しようとエスカレートする一部の若者をみると、日本の教育の歪みをみるようで心が痛くなる。成人になるまでの自分を支えてくれた人々や、式を企画・運営してくれた多くの人への誠意をしっかり表現できる個人を育てることが学校教育の大きな目的の一つなのではないだろうか。「学力向上」路線は、舵取りを誤るとまともな市民を育てないのだということを肝に銘じたい。

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