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2009年12月23日 (水)

公立高校の授業料無償

 政府は今日,来年度から公立高の生徒から授業料を徴収しないことを決めた。所得制限を設けず、生徒1人当たりの授業料相当額(年間11万8,800円)を基準に,地方自治体に対し授業料収入に相当する額を支給することになった。半世紀もの間,この国の政権を担ってきた政党には実現できなかった(発想がなかった)ことなのに,若い新政権が英断したことは評価したい。私立高についても、公立同様に年間約12万円分の資金援助を受けるが,年収250万円未満の世帯には公立高の授業料相当額の2倍,年収350万円未満の世帯には同様に1.5倍程度の額を支給するという方針も文科省大臣が記者会見で明らかにした。我が家の長女も,数ヶ月後に高校受験を控えているのでありがたい話でもある。

 しかし,まだ日本の高等教育は国際標準から(悪い意味で)逸脱している現実がある。現在160カ国が締約している国連人権規約第13条では,中等教育のみならず,大学等の高等教育についても「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとする」と明記されているが,日本はこの条項をいまだに留保している数少ない国の一つである。それどころか,国連でこの規約が採択されてからの約40年間に,国立大学の授業料も倍増するなどこの規約の主旨に逆行する状況を生み出している。現時点では,日本とマダガスカルの2カ国のみが,教育費無償化という方向へ政策転換することに同意できないでいるのだ。

 地元の長野県議会も,この国連人権規約第13条の留保撤回を国に求める意見書をすでに全会一致で採択しているが,小泉政権下で文科省大臣になった長野県出身の代議士はこの案件を解決しようとはしなかった。長野県の平均家計所得を考えたら,都会に上京して下宿生活させながら大学の学費を負担し続けられる世帯は決して多くないはずだ。現在の日本の教育制度は,経済格差・地域格差も競争原理による正当な結果だと主張したがっているかのような印象を受けてしまう。選挙の時しか住民に頭を下げない特権階級の政治家たちには,しょせんこうした根本的な改革はできないのだと半ばあきらめていたが,政権交代という流れが現実を変えようとしている。北欧流の福祉国家型教育をフィールドにしてきた私にとって,日本の教育改革に期待が持てるようになってきたことは嬉しい。

 日本の教育費の公的支出の割合が,OECD(経済協力開発機構)加盟国中の最低水準であることは多くの人が知る事実となり,より充実した財政的対応を求める声が強くなってきたが,大学の授業料無償化にも拡大させて,学びたい者を支援する社会をつくろうという世論を形成するためには,まだまだいくつかのハードルをクリアしなければならないのも事実である。

 私たち一人ひとりが,学歴や肩書きを抜きにしたコミュニティをつくれるのだろうか?他人と比べ続ける生き方よりも,自分なりにビジョンをもって考え続ける生き方ができるのだろうか?今日明日の自分のニーズよりも,未来の地域社会や国家の有り様を見据えての,社会貢献的な自己実現を生きる糧にできるのだろうか?

 …それらの成否も,まさしく「教育」の有り様にかかっているのだ。

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