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2009年12月31日 (木)

紅白歌合戦に出演した意外な歌手

 私は毎年大みそかの紅白歌合戦をBGMにして、研究室の学生に仮提出させた卒業論文と修士論文の添削をしている。NHKさんには大変申し訳ないが、紅白歌合戦そのものには私は興味はない。それでも、この一年間に音楽界で話題となった人物を知ることができたり、老若男女幅広い世代に視聴してもらうためのNHKなりの努力が見えたりするので、ノートパソコンの向こう側でテレビ画面が見えるようにしている。よって、番組がおもしろいと仕事の能率は低下する。さらにお酒を飲みながらのオフモードでの論文校正作業なので、当然なかなかはかどりはしない。

 今年もまたこの悪い習慣を繰り返してしまった。一本目の修士論文は4万字ほどチェックしたところで挫折した。新年に持ち越す原稿ばかりとなって、今日の添削作業を終了することにした。そうなった理由は、出場歌手のリストにはない応援歌手に魅せられたからだ。還暦を迎えた大物ロック歌手:矢沢永吉さんが会場に駆けつけたことにも驚いたが、ネット動画で一躍世界的有名人になったスーザン・ボイルさんが話題の美声を生で披露したことに感動した。彼女の歌声(I dreamed a dream :「夢やぶれて」)は、私を含め多くの視聴者に感動を与えた。

 歌手デビューするにはあまりに高齢過ぎたボイルさんは、オーディション会場で審査員や聴衆たちから鼻で笑われるスタートだったという。髪型や服装をはじめ、風貌自体が芸能界に似合わないというか、スーパーに買い物に来たおばちゃんといった印象を受けた人が多かったようだ。ところが、彼女がこの曲を歌い始めると会場の雰囲気は一気に変わったのだ。ボイルさんのCDは11月に発売された。「夢をあきらめないで」と言い残した母親の最後の言葉に奮起したそうだ。

 私も35歳の時に、勤務先の学校長に辞表を出してから教育学の勉強をするために受験勉強を始めた。担任していた高校生を無事に卒業させてから、私も進学した。当時二人の子どもと妻子を扶養家族にしていたにもかかわらず、「ぷー太郎」学生となり、アルバイトと奨学金で何とか生き延びた時期がある。ボイルさんのように、周囲から「勘違い!」「歳を考えろ!」などの忠告も親族から浴びた。辞職した翌月から、仲良くしていた銀行さんからも見放され、各種の会員登録やクレジットカード等をつくる際の申込用紙のフォーマットにも困らされた。当時は「フリーター」とか「ワーキング・プア」などという言葉もなく、職業欄に「35歳・学生」と書くことはきわめて希なケースだったし、田舎ではあり得ない話だった。でも、私は決断したし、妻も背中を押してくれた。

 思い起こせば、過酷な中学校教師時代に体当たりでぶつかった生徒たちから、私はエネルギーをもらっていたのだと思う。教師の仕事の難しさと素晴らしさを実感させてくれた生徒たちが、私の結婚披露宴に合わせてエールを合唱で贈ってくれた。その曲は、岡村孝子さんの『夢をあきらめないで』だった。言葉にはできない感動をもらい、新郎席で私は泣いてしまった。今日のボイルさんの歌声を聞いて、あの日のシーンが鮮明に蘇ってきた。そうだったなあ。

 そのあと私は教師として決して立派な仕事をしたわけではなかったが、半端なことはせずに全力で取り組んだことは間違いない。教師の仕事が楽しくなった頃に、「学び直さねば…」と自分なりの教育観を高めていく努力を本気で追求しようと思えたのも、『夢をあきらめないで』をプレゼントしてくれた教え子たちの歌に戻ったからかも知れない。昨年のブログ『夢の寿命』も実はここにつながる。

 世間の通例にとらわれず、「かたち」や年齢も問題にせず、自分がチャレンジしたいことにひたむきに努力できる人、まじめに汗をかける人を私は尊敬しているし、私もそんな人でいたいと思っている。…2009年もまもなく終わる。新しい年も、自分を磨き続け、学び続ける学生のような社会人でいよう。

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