原爆の日
8月6日の8時15分。今年も家族みんなで1分間の黙祷を捧げた。広島に原子爆弾が投下され,人類に悲劇が起きたその時刻だ。そして,広島市原爆死没者慰霊式,並びに平和祈念式典をテレビで視聴するのも恒例だ。内閣総理大臣よりも,市内の小学生代表の平和への誓いの言葉の方が感動的で心に響く。今回の広島市長のスピーチは,「オバマジョリティ」だとか「Yes we can!」だとかを原稿に盛り込み,異色のメッセージとなったが,核廃絶への意気込みは,これまで以上に伝わってきた。そして,今日8月9日は,長崎に原子爆弾が投下された日だ。私たち日本人は,原爆被害国として平和を訴え続けるだけでなく,唯一の被爆国として,世界にアピールすべきメッセージがたくさんあるはずだと思う。
私には,広島に住む大切な友がいる。大学時代からの友人で広島弁を堂々と語り,我々クラスメイトに「広島風お好み焼き」のブームを巻き起こし,私のカラオケのテリトリーに,河島英五の「時代遅れ」を注入した男だ。学生時代は冒険と失敗ばかりしていた私だったが,へこたれそうな時に黙って隣で一緒に飲んでくれる最高の友人だった。社会人になってからも,広島方面に出た際には,彼の家に泊めてもらうことが少なくない。
私が最初に広島を訪れたのは,1987年だったと思う。大学卒業後,広島に戻った彼を訪ね,休日に一緒に原爆ドームや平和記念館などを見学してまわった。次に,平和公園の外周を囲むフェンスからはずれた一角に私は案内された。そこには被爆した韓国・朝鮮人らの慰霊碑があった。彼はその前で手を合わせ,「広島市民としてこの碑が公園の敷地内にないことが恥ずかしい」と私に語った。今ではそれも公園内に移されているが,あの時に私は「原爆」後の社会を様々な立場の人の目線から捉えることにこだわり始め,教科書には書かれていない事実も,子どもたちと考え合う授業を作り始めたのだった。
彼は昔,甲子園を目指して野球を続けていたが,高校3年生の時に心臓の病気を患った。彼の母親も祖母様も「原爆手帳」をもっておられた。彼はまだ結婚していないし,いい人を紹介しようとしてもあまりのってこない。彼は何も言わないが,自分の遺伝子も原爆の影響を受け継いでいるかも知れないと考え,わが子に原爆による障害が出現し,その孫も…という悲劇を継承させる可能性をつぶそうとしているように思えてならない。
先日,麻生首相は原爆被害者の認定基準において国と争ってきた原告団に対し,総選挙前のこのタイミングでようやく被爆者認定の方針を明言した。長年,被爆による健康被害に苦しみ抜いてきた人たちからすれば,あまりに遅すぎる政府の対応だが,一歩前進だろう。それでも,私の大切な友人の現実は何も変わらないし,彼が被爆者に認定される可能性はきわめて低い。
彼なら,広島から,あるいは日本から,どのようなメッセージを世界へ発信すべきだと考えるのだろうか。次に広島へ出張する際には,ぜひ彼の隣で一緒に飲みながら語り合ってみたい。
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